新年早々、星野仙一、フランス・ギャル逝く
2018/01/10(水)20:51:20
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野球の星野仙一さんが1月4日に、フレンチポップスの大御所、フランス・ギャルが1月7日に亡くなったそうです。享年ともに70歳。
タイガースが低迷していた頃(70年終わりから80年初め?)甲子園球場でドラゴンズファンが、一番田尾が塁に出て♪、二番平野が送りバント♪、三番モッカがタイムリー♪、四番谷沢がホームラン♪ と唄うと本当にため息が出て、強気のピッチングをする星野なんていなければいいのにと思ったものでした。 声には聞こえなかったけれど、ボールの判定に「ストライクやろ!」とマウンドから大声で叫ぶ姿に男気を感じましたね。そんなわけでタイガースファンのなかにも星野ファンは結構いたんじゃないでしょうか?
フランス・ギャルは「夢見るシャンソン人形」が代表曲。多くの日本人がカバーしたし、CMにもよく採用されていましたね。 日本語訳にうまくかわされていたのか、原詞が辛辣な内容だったのを知るのはずっとずっとあとになってからです。
お二人のご冥福をお祈りします。
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謹賀新年
2018/01/01(月)21:18:38
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皆様、新年明けましておめでとうございます。
その昔祖父は秋田犬を飼っていました。 少し黒い毛が混じっていたので(珍しい)、「クロ」という名でした。温厚で人にはやさしい性格でしたが、鳴く時はとても大きな声でした。 「一度仲間だと認めたら、次からは絶対に吠えないよ」と祖母が言っていました。頭が良かったのかなあ。
さて今年はその戌年です。明るく楽しい年でありますように祈っております。
写真は今朝、某施設の玄関で見た門松です。 竹のカットのしかたで笑っているように見えるので「笑い竹」と呼ばれるそうですね。 笑う門には福来たる。そんな年でありますように。
1月4日午後から営業いたします。
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年末のごあいさつ
2017/12/30(土)17:30:58
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いやはや、もう一年が終わろうとしています。 冬至を過ぎたんだから、理屈としてはこれから日一日、太陽の位置は高くなり、日が長くなるんでございますが、やはり、寒い日は続き、早く春が来て欲しいと思う今日この頃でございます。
この一年、皆様方にはたいへんお世話になりましてありがとうございます。 はっとり写真工房を始めてこの12月でまる17年。景気のいいときも悪いときも経験し、何とかやって来れました。 また新たな年を迎えるにあたり、勉強を怠らず、皆様のご期待にお応えすべく頑張ります。
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美しい人よ!
2017/11/23(木)20:40:06
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今年も例年のごとく、専門学校のエアライン科で写真の講義をしました。
1コマ90分で5日分。 名付けて、 「エアライン受験生のための写真講座 Five Days In Potography (濃いめ)」
背景はどうしたらいいの? 画像データはどう作ればいいのか教えて! メイクはどうしよう? 服装については? どんなポーズがいいの? やさしく見せたい! ・・・, etc.
スライドショーを交えて座学と実技指導。 配布のレジュメに熱心にメモを書き込んでおられましたね。
皆さんとても真剣に聞いてくださり、ありがとうございます。 そしてお疲れ様でした! 健康に留意して就活を乗り切ってくださいね。
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大木栄一先生のこと
2017/11/23(木)16:01:10
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大木栄一先生は元朝日新聞東京本社写真部長で、退職後はワタシの母校日大藝術学部教授でした。 高齢だったけれど矍鑠としておられ、「新聞写真研究」という講座を持っておられました。
大木先生は小さな頃に「関東大震災」に遭われ、家族とともに上野の避難所に逃げたのだそう。 その時、近くにいた老人二人の会話を耳にします。
それは、さっきの大地震と安政の大地震(幕末に頻発した南海トラフ巨大地震の一つ)と、どちらが大きかったか?という議論だったそう。
(中略)
明治生まれの大木先生は報道写真を学ぶ写真学生を諭します。 大切なのは、明治、大正、昭和といった区切ではなく、とどまることのない歴史の流れを見よ、と。
幕末に頻発した大地震は、まるで倒幕運動に呼応するかのように起こったということ。
先生、ありがとうございます。先生はいつもワタシの心の中におられます。
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明治150年
2017/11/23(木)15:23:29
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明治元年から起算すると、もうすぐ明治150年になるんだそう。 明治村、今は「明治」だけど明治乳業や明治製菓、ジャムの明治屋・・・明治を冠するものは多いですね。
ワタシの祖父も明治うまれだったなぁ。
沈んでいく夕日を見ると手を合わせていた 「きれい」とか言わず、「美し」といっていた 道は左側を歩いていた いつも着物を着ていた 長男(ワタシの伯父)を激戦のビルマ戦線でなくした 何かにつけて信心深かった 花のにおいは必ず嗅いでいた たくあんを自分で大きな樽に漬けていた キセルで刻みタバコを吸っていた 「明るい」を「あかい」といっていた 畑仕事が好きだった 知っている人と行き交うときは必ず立ち止まってからお辞儀をしていた 思い出は尽きない。
その名ぞ我らが母校 おお明治〜(明治大学校歌)
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サヨナラ!103系10月3日引退
2017/10/04(水)12:10:24
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朱色1号(日本国有鉄道の呼び名)を身にまとい、48年間もの間、大阪環状線をグルグルと回り倒した103系電車が勇退しました。
ワタシも京橋・大阪駅間の内回りに記念乗車しました。京橋駅を過ぎて桜ノ宮駅手前までのまっすぐな鉄路付近、大川を渡る姿がみられる源八橋付近、大阪駅に滑り込む様子が撮影できる阪急うめだ本店の2階入り口付近。鉄道ファンはみな思い思いの場所に立って見送っていましたよ。 残る国鉄継承車両は201系(今朝乗車^^;)。323系新型車両への置き換えが着々と進んでいます。
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シキシマヒロミチ(再び)
2017/08/16(水)20:58:36
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シキシマヒロミチ
管理人の母親は旧姓を「敷島」といいます。そう、つまり、敷島弘美智は管理人の伯父です。
長野県上田市に「無言館」という、中世ヨーロッパの僧院をおもわせる、独特の雰囲気を持つ小さな美術館があります。 第二次世界大戦では多くの学徒が戦場に散っていきましたが、この美術館は東京上野の美術学校(現在の東京芸術大学)出身の戦没画学生の遺作や遺品などを展示しています。 敷島弘美智はその戦没画学生のひとりです。
管理人は戦後だいぶ経ってからから生まれているので、もちろん、伯父には直接会ったことはないのですが、今でも、年老いた母は管理人の横顔を見て泣き出すことがあります。
「にいちゃん」に似ているのだそうです。やりきれませんね。60年以上経っているのに。
今の時期、サークル、グループに属す多くの大学生の皆さんが、信州周辺に合宿に出かけられるようです。 ぜひ「無言館」を訪ねてみてください。そして、国や家族や我が子を思いながら死んでいった若き芸術家の魂たちに会ってきてください。 出征の列車に乗る間際までカンバスに向かい描かれた未完の絵画らは、哀しくも美しく、そして胸を打ちます。
※入り口には油絵のパレットの形をした碑文があり、名前が刻まれていました。(葉っぱの部分/クリックで大きくなります)
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おひさしぶりです。
2017/08/01(火)20:02:02
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今日は8月1日。 良く考えてみると、夏至からはどんどんと遠ざかっていて、日が短くなってきているのですね。暑い毎日が続くので、あまり実感はないけれど。そういえば今年はもう半分もない。
などとぼんやり考えていたら、突然目の前に現れたのは懐かしい顔、MSさん。就活まっただ中のある日、突然落ち込んで消息不明になった人です。(笑) 今は某放送局の記者さんです。ある女子アナさんの付添?で何人かで大阪にやって来たんだそうです。 ちょうどよかった、大学の後輩でマスコミ志望の学生さんを紹介できました。
彼はアナウンサーで採用されたのですが、途中から転向、今は記者をしています。 早く結婚してみたいと言ってたでしょ?もう三十歳を超えたでしょ?早く結婚しろよ、おい!
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ひっそりと・・・
2017/06/01(木)22:04:37
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皆様お久しゅうございます。管理人でございます。
本日、ひっそりと「管理人の部屋」を「中津日和」と改め、再開いたしました。 今日は6月1日大安吉日なのでございます。そして、「写真の日」でございます。 この日を写真の日としたのは、天保年間の6月1日に日本人が初めて日本人である薩摩藩主島津斉彬を撮影をしたという文献があったためです。のちにこれは違うということがわかるのですが、写真の日は6月1日ということになっています。
ちなみに島津斉彬を1857年に撮影した写真は現存しており、国の重要文化財に指定されています。 毎年この時期に合わせて東京では「東京写真月間」(The Month of Photography, Tokyo)というイベントで盛り上がります。 日本に「写真の日」があるなんてすごいことですよね。
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